1999/2/12へ

 1998年2月11日、運命は一本の電話から変わる。

夜、だった。葉月昂(はづきこう)氏から電話があって。そして氏がゆった。
「スケートに本田君って子がいてぇ、なんかすっごく可愛いんですよおーっ」
  ああそういえば冬季オリンピックなんてやっていたなぁ。そーかスケートか、ふむ。
「高校生なんですけどぉ、行動が可愛いんですよおーっ」
 高校生が3人出てる、という話を何かの拍子に聞いたことがある。長野五輪に対する私の興味なんてそんなもんだった。が。
 葉月氏の話を要約すると、フィギュアスケートに日本代表で出てる本田武史君という男の子  が、競技のあとにとった行動がいたく可愛かったということなのだ。その日行われたのはショートプログラム。あまりいい出来でもなかったのか、キス&クライで手を振っていたのが、得点が出る直前に、俗に言う「あかんべ」をしたらしいのだ。そんでコーチにはたかれたのだという。そのほかにもいろいろ聞いた気がするのだが、私のココロはすでに見も知らぬ本田君に向いていた。
「きっと好きなタイプだろうから、教えようと思ってー」
「あっ、じゃあ今ニュース見てみます」
 あわただしくつけたテレビには、タイミング良くスポーツニュースが。長野五輪のことも毎日やっていた。が、前述の通り私は流し聞く程度にして見ていなかった、のだが。
 折しも映し出された本田武史16歳に、その瞬間わたくし天野忍は見事にすっころんだのである。
電話口で感極まって叫んだ気がする。ありがとう葉月氏。まこと友情とは美しきかなよいかなよいかな。好みだろうという葉月氏の予想を大幅に上回って、私は本田君に惚れ込んだ。しかし悲しいかな、当のショートプログラムは、衛星放送だったため、私は見ることができなかった……! いや一応ニュースには出たけどさ、一部分しか見せてくれない訳よ。当然ながら例の「べっ」も未確認。それでも惚れ込んだのは、彼の衣装も可愛かったとかいろいろ理由があるのだ。
 今でこそ氏とはすっかりメイルでやりとりしているが、当時私はパソコンを買う気すらなかった。もしこの話をメイルで聞いていた  ら、ここまで一気にはまらなかったかも知れない(案外、妄想だけが突っ走ったかもしれんが)。ともあれ私はこうして、人生の新たな扉を開いたのだった。
  縁は異なもの味なもの。我が人生に幸あれ。ぶらぼー。



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