1999/2/11へ

 1998年2月12日、そしてアタシは走り出す。



  怒濤のショートプログラムから3日後。フリースタイルを、フジテレビで三時間にわたって放映することになった。渡りに船とはまさにこのことだ。私はビデオをセットしてその時を待った。
 高校生はもう二人いた。田村岳斗(たむらやまと)君と、荒川静香(あらかわしずか)ちゃんだ。しかしこの二人は別項で語ることこにしてここでは割愛。
 何が嬉しかったかって、本田君の競技前に、ショートプログラムをプレイバックしてくれたことである。ありがとうフジテレビ。さすがに「べっ」までは出なかったものの、柔道着を黒くしたような衣装の、赤い裏地がひらひら見えるあたりにまた私は感動した。お江戸八百八町はねずみ小僧次郎吉の代から伝わる配色じゃないか。すばらしい。
 その日の本田君は、青い衣装だった。騎士をイメージしたような感じ。使用曲は……今ちょっと思い出せない(泣) 勘弁。
 祈るような4分半だった。一つのジャンプが決まったあとの一瞬の安堵と、次のジャンプまでの張りつめた気持ち。本田君は途中思いっきり転んだが、それでも最後まで、きちんと滑った。
 フィニッシュで片手を高々と掲げたあと、彼はその腕に顔を押しつけ、ぎゅっと顔をゆがめた。掲げた手がきつく握りしめられ、胸に降りる。閉じたまぶたが開いて、泣き出しそうな顔がふっとゆるみ、そのあと彼は、空を仰いで微笑った。
 あとはもう、満面の笑みだった。観客に投げキッスまでしてしまうほどに。いやなんて可愛いんだろう。ショートプログラム後の泣きっ面に比べると、まるで花が咲いたかのようだった(なんて陳腐な表現なんだっ)。実況の森中さんが笑っていたぞホンダよ。でも君だから許すぞホンダよ。愛すべき君のやんちゃぶりに万歳!
 そう、もう万歳ブラボーだったのだ。っていうか本気で感動した。胸が熱くなった。何かをこらえるように胸に当てた拳と、仰いだ笑顔に、泣きそうだった。「何も言葉がない」という赤坂泰彦の感想が嬉しかった(番組進行役だったのさ)。下手に美辞麗句並べるよりか、そっちの方が本音っぽくて。本田君が嬉しかったのとか、表情からびんびんに伝わってきたし、今更解説なんていらんだろうよ、なあ皆。
 そして彼の愛らしさはキス&クライで大爆発した。頭の上から落ちてきたピカチュウのぬいぐるみにあっついちゅうをし(このときほどピカチュウになりたいと思ったことはない)、バレンタインデーだからかハート型のチョコを模したクッションに、「疲れたー」って顔でぼふっと倒れ込み。コーチのはたきがまたも炸裂である。そこでちろっと舌を出してみせるあたりが素の高校生っぽくて、これで彼に参っちゃった人も少なくなかろう。おまえだけだそんなことやってんのはー(少なくとも放映された限りでは)ッ。
 順位は伸びなかったのだが、この日の演技は本当に良かった。ビデオ何回見返しても目頭が熱くなるぜ。金メダルのイリア・クーリックとか銅メダルのフィリップ・キャンデロロとか、ほかにも見所はたくさんあるのだけど、一番感動したのは本田君だった。
 ヤマトと同じ高校だとか(いや静香ちゃんも)、妄想の種もたくさん拾ってしまったものの、私はにわかフィギュアファンとして走り出したのである。葉月氏が恐れをなすほどの、マッハ速度で。
 
  ちなみに私がそのあと、長野五輪に興味を持ったかというと、そうではない。連日ニュースに出てくればいやでも耳にはいるのだが、多恵ちゃんの金メダルも、原田のジャンプも船木の記録も、やっぱりどうでもよかったのである。


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